好きで強くなったわけじゃない

処女膜強靭症についての話

手術②

 

麻酔から覚めると、すべてが終わっていた。

 

正確に言うと本当にすべてが終わっていたわけではない。

依然足ぱっかん状態で診察台の背もたれにもたれかけている。

周囲では先生や看護師さんたちが片づけをてきぱきと行っている。

 

目は開いたが、手足にはまだあまり力が入らない。

看護師さんが、「終わりましたよ~大丈夫ですか~」と尋ねてくる。

先生も「無事に終わりましたんでね、安心してくださいね」と言う。

 

ほっとした……のも束の間。

 

「でもちょっとね、追加の手術をしました。

外側の皮膚も少し切りました」

 

なんやて。

 

寝耳に水というほどのことではないが、

寝耳にゆっくりぬるま湯くらいには驚いた。

 

先ほどの記事に書き忘れていたのだが

手術前に説明の追加があったのだ。

 

私の場合、初診でちゃんと診察できなかったので

麻酔をしてから、改めてちゃんと調べることになる。

処女膜強靭症なのは間違いないが、もしかしたら

先天性の膣内の奇形(膣が二股に分かれている等)があるかもしれない。

通常はそういう点を事前の診察で確認するのだが、

私の場合はできていない。

 

また、入り口あたりの皮膚がつっぱっている感じなので

それを切らないと、中の粘膜である処女膜を切除したとしても

性交時の痛みが残る可能性がある。

そういった場合、処女膜切除以外の追加の手術が必要になる。

ただそれもよく調べてみないと判断できない。

 

これらのような強靭症以外の要素が見つかった場合、

追加の分を同時に行うかどうか?

 

という話である。

 

私は迷った。

できれば一回で済ましてほしいが、

問題は費用である。

 

手術には保険適用がされていない。

追加もするとなると、費用が当初の約2倍にもなる。

数字をはっきり書くと約15万円の追加である……。

 

お高い!

 

定期預金 解約

という文字が頭に浮かぶ

 

無理むりむりぽよ。

でもせっかく手術しても痛いままとか、

また改めて手術とか、しんどい。

いろんな意味でしんどい。

 

けどこれ以上お金がかかるとか、それもしんどい。

保険適用してくれるところを

もっと時間をかけて探せばよかったのかもしれないけど、

実際に行って診察→パニックで精神的にダメージ

を繰り返してまで探す気にならなかったのである。

 

それにこの先生のように「できるだけがばがばにする」レベルまで

保険適用で対応してくれるのだろうか?

必要最小限度と医師が判断した程度にしか切除してくれないのでは?

という不安があった。

なにせ今でも処女膜強靭症について診断できる医師は少なく、

保険適用するレベルかどうか判断するのはさらに難しいという状況なのだ。

まだ学会等に上がっている症例報告が少ないのであろう。

 

いったいどうしたら……と悩んでいると、

となりにいた母が「いいのよ、追加しても」と言った。

 

「え?」

「追加の分はお母さんが出すから。安心して」

「でも……いいの?悪いよ。申し訳ないよ」

「いいのいいの」

 

とてもありがたかった。

 

でも、追加がないことを願っていた。

 

だから術後、追加があったことを知らされたとき

びっくりしてしまった。

 

外側の皮膚を……ちょこっと切って縫っただけで

約15まんえん……医療とは……国民皆保険とは……

と麻酔が残って働かない頭でまとまりもなくぼんやり考えた。

こりゃー健康保険はそりゃ必要だわ。

という変な納得が残った。

 

 

看護師さんが補助してくれて、別室のベッドでしばらく横になる。

先生からすでに術後の説明を受けたらしい母がやってくる。

 

「お母さん、ごめんね。追加のお金、申し訳ない」

私はとても情けない気持ちだった。

もういい大人なのに、ということが今回の件では続いている。

 

「いいのよいいのよ、痛くないようにならないと、意味がないもの。

それに一回で全部やって、嫌なことは早く済ませたほうが安心でしょ」

 

母はそう言ってくれたが、私はそのあとも何度も謝った。

 

しばらく黙ったあと、母はぽつりと言った。

「お母さんがね、ちゃんと生んであげられなかったんだから」と。

 

母はそのように考えていたのか、と初めてわかってショックを受けた。

同時に、謝りすぎたせいで

そのようなことを言わせてしまったのかも、と思った。

 

私は自分の不甲斐なさや思慮の足りなさを悔いた。

 

それに、ちゃんと生んであげられなかった、というのはおかしい。

何か子どもに異常があったとしても、母親の生み方の問題ではない。

遺伝子の組み合わせ、あるいは細胞分裂の些細な間違い。

詳しいことはわからないが、母親のせいなんかではないのはわかる。

 

でも昔の人にはそういう考え方が根強いのだ。

若い世代でもそういうことを言う人もいる。

お腹で育てるのが女性、というだけなのに。

もし現代の技術がもっと進歩していて、

たとえ私が人工子宮等で完璧な管理のもとに育っていたとしても

同じだっただろう。

 

「そんなの絶対に違うよ」

 

 

そこに先生がやってくる。

「お母さま~お腹すきませんか?これよかったら……」

と水ようかんとスプーンを持って。

 

なぜ

水ようかん。

 

夏だから?まぁ夏のおやつにおいしいよねうん。

術後に先生はきっと甘いものでも食べようと思い、

そして「あ、お母さまにも持っていこうかしら」と

思いついたのであろう。

 

「あなたは?あ、あなたはまだ食べられないか~」

笑う先生。

 

先生……(言葉にならない何か)。

 

そのあといろいろ言われた。

「あなたって麻酔に強いのねぇ!」とか。

事前麻酔の増量があったからだろう。

 

「追加の手術もあったけどね、

これでもう本当にすっごく広がったからね!

これからは気持ちよくなれるといいわね。

やっぱりね、セックスというのはお互い気持ちよくないと」

 

先生、母の前なのにもう完全にいつものモードに戻ってる。

 

 

あとから母に聞いた話によると、

母への術後の説明でもすごい説明の仕方をしていたそうだ。

 

「お母さま、ご心配なく。三本入ります」

「三本って、指ですか?」

「違いますよぉ~あれの三本です!三本!」

と、指を三本びしっと立てて強調したそうな。

 

うそやろ。

さすがに三本はないやろ。

ていうか三本入れる必要ある?

まさかとは思うがそういうプレイまで先生は想定してるの?

先生……。

 

母は話をしながら大爆笑していた。

あんな先生見たことない、と。

たしかに。私も見たことなかったです。

 

このクリニックはとても人気があって、

一週間分の予約が一瞬で埋まってしまうほどだ。

なぜかなぁと正直思っていたけれど、

先生の人柄なんだろうなぁと思った。

こういう先生だと、いろいろあけすけに相談できていいような気がする。

 

そして看護師さんの配慮と優しさ。

絶妙なチームワーク。

 

お金はかかってしまったし、母にも申し訳ないが

ここで手術をして、まぁ、よかったかな……。

 

 

 

 

術後の痛みは、一週間ほどでだいぶおさまった。

三日ほどは座薬を入れないと横になっていても痛い、

という感じだったが、その後は

傷の箇所に体重をかけなければそんなに痛くない、という感じ。

 

一週間後の検査では、ぐりぐりやられた。

中に器具をつっこんで、ぐりぐり回すのである。

癒着を防ぐために広げるのである。

これも痛かったが、処方されている鎮痛剤が効いていたのか、

パニックになるほどではなかった。

 

そして数日前、術後一か月の検査を受けてきた。

経過は良好で、癒着もなく、傷口の治りもきれいだそうだ。

「ほらこれ子宮口。見える?

ばっちり子宮口まで見えるくらいに広がりましたからね」

と壁の画面を見せながら説明してくれる。

 

いや別に子宮口まで見せてくれなくていいです……

という思いが強かったのでちらっと見ただけで、あとは見なかった。

 

癒着が心配だったので、とりあえずよかった……と思ったが、

最後にまたぐりぐりやられた。

「一応やっとこうね~」というノリである。

 

チェックし終わったんだからもういいんでない!?

と思ったが、この先生ならなんとなくやる気がしていたので、

驚きはしなかった。しかし痛みと恐怖でまたパニックに。

 

症状は初診ほどではなく、吐き気が来るもえずいたらおさまったり、

手足の痺れや血圧の低下もさほどなく比較的早く起き上がることはできた。

 

でもぐったりしている私にかけてきた先生の言葉が、

励ましの言葉としては、またちょっとどうなのかというものだった。

「すごく広がったけど、あなたね、中は数の子だから大丈夫よ!」

 

かず……のこ……。

 

「数の子天井って知ってる?

うーん何て言うかね、ひだがたくさんある感じでね。

やっぱりね、お互い気持ちいいのがいちばんだから。

あ、いや、いちばんってことはないか。

とにかくいいことだから~」

 

先生、いろいろ先のことまで考えすぎじゃない?

まぁその、仲良くなれるほうがあなたにとってもいいことよ☆

的な感じで話しておられるのはわかるのだが、わかるのだが。

 

 

 

 

 

以上でとりあえず記録は終わりです。

先生がいろいろな意味で盛り上げてくれた気がします。

 

まだ性行為には不安や恐れがあるし、

術後一か月経ったらしてもOK、と言われているけれど

まだたまに傷の痛みを感じたりするので

機会が訪れたとしてもあと一か月くらいは待ちたいなと思っています。

 

目下、機会を運んできそうな人について、

普通サイズだったらよかったのにな、というのが悩みの種です。

 

神はさらに私に試練を与えたもうた。

 

 

 

手術①

 

またしばらく間があいてしまいましたが

約一か月前、手術を受けてきました。

 

術後すぐの、記憶が鮮明なときにブログを書こうかなー

とも思ったのですが

もし術後の経過がよくなかったら、ちゃんと切除できていなかったら、

などいろいろ考えてしまって

結局術後一か月の最終検査を終えてから書いています。

 

そして自分の書いた内容を読み返していて思ったのですが

私、ひどいな、と。

 

昔につきあった人の、

誰も心から気遣ってくれていなかったって書いてる。

 

でもよくよく考えたらそこまででもなかったと思います。

 

たぶんはっきり言葉にしなかっただけで、

それぞれ、気遣いはあったと思います。

 

それが「心から」かどうかなんて、

私には判断できない、神さまにしかわからないようなことで。

 

自己憐憫が過ぎました。

でも同時に、やっぱりちょっと、本音でもあります。

どないやねん。

 

本音と言うか、

「あぁこの人にとって私のこの問題はこの程度なんだ」

とがっかりしたときの心情と言うか。

 

もちろん私(他人)のことをそこまで思いやる絶対的義務なんて

恋人間や夫婦間でもないのですが。

 

うーん。

長い間悩みすぎて、感覚が偏ってしまったのかも。

「私はこんなに苦しんでいるのに」という思いが強くなると

相手の不作為にすぐにがっかりしてしまう。

 

「充分言葉にしなかった」

「充分態度や行動に表さなかった」

ということに対する断罪ラインが自分の中で低すぎかな。

 

まぁそれは置いといて。

過去に気遣ってくれた人たちに謝ります。

もしこの文章を見ていたら。

ごめんなさい。

 

特にあの人は気遣ってくれていたなぁ、という人もいます。

そういう人も全部含めて「みんな心から気遣ってくれなかった」と

嘆いてしまったのは、本当人間として私はどうかと思いました。

ごめんなさい。

 

でもおまえは違うからなー!

と言いたい人もいます。うん……。

 

 

 

手術について。

 

手術前日はあまり眠れなかった。

先生も私のような患者に慣れているのか、

事前に睡眠導入剤を一錠だけ処方されていた。

 

セルシン5mg錠。

正確には睡眠導入剤ではなく抗不安剤だったと思うけども

不安を和らげてぽわーっとさせて寝かせる、という処方はよくある。

 

5mgってやや多くないかと思ったけど

一錠だけの処方と考えると妥当かも。

 

で、それを飲んだけども眠れない。

落ち着くのは落ち着くんだけど眠るところまでいかない。

胸のどきどきがおさまったり無意識にこわばっているからだが柔らかくなる、

という感じはあった。

朝方になんとか少し眠った。

 

眠いほうが麻酔が効きやすいような気がするからいいかも!

というポジティブシンキングをしながら

シャワーを浴びたり化粧をしたりした。

 

服を着たあと、冷蔵庫を開けた。

庫内の隅っこに、紙袋に入れられたクリームが置いてある。

 

手術時間から逆算して、家を出るくらいに

事前麻酔として処方されている麻酔クリームを

手術予定箇所に塗るように言われているのだ。

 

手術予定箇所……つまり膣内。

説明を受けたとき、

「ちゃんと中にたっぷり塗ってね!容器全部ね!」

と言われたけどすでにそのとき「無理やろ」と思っていた。

 

病院で麻酔をする予定なのに、

なぜ自分で麻酔クリームまで塗らないといけないのか。

という疑問に対して先生はこちらが尋ねる前に説明してくれた。

「点滴の麻酔で眠っても、局所麻酔の注射をするときに

からだが動いちゃう患者さんがいるのよねー、そうなるとやりにくいから」

ということであった。

 

「え、点滴の麻酔で意識がなくなってても、

注射の痛みを感じてからだが動くということですか……?

それほどに局所麻酔の注射は痛いということですか……!?」

と私が焦ると

「あ、いや、そこまで痛くないと思うんだけど、なんか、無意識かな?」

と先生も少し焦っていらした。

詰め寄ってすみません。

 

初診にパニックを起こして血圧低下、意識低下、吐く、

ということをやらかした患者は正直先生は少々面倒くさいと思う。

でもやらかしたおかげで(?)

予防策を何重にも用意してくれてありがたいのであるが。

 

で、麻酔クリーム。

やっぱり全部を中に塗るというのは無理だった。

だって自分の指一本も痛いから手術を受けるんですよ。

そんな人間にそりゃー無理ですよ。

かなり量多いし。

結局ほとんどは外側に塗りたくった気がします。

なるようになーれ!という気持ちで車に乗りました。

 

運転は母です。

となりの県の実家から車で来てくれました。

帰りは麻酔から覚めてもしばらくはふらふらしてるから

車の運転はやめてね、と言われていたので。

術後に電車もちょっとつらいな、と思ったので。

お願いしました。

 

高速が渋滞していて十五分ほど遅れてしまって

受付の人に少し注意されました。

そりゃそうです。遅れるのに電話連絡していなかったのです。

なるようになーれ!精神がいきすぎました。

そして正直頭がいっぱいいっぱいでした。

もう本当に駄目だな大人なのに。

 

麻酔クリームを自分で拭うように言われ、

手のひらサイズの木のヘラとガーゼを渡された。

そういえば塗ったあと、病院で自分で拭ってもらいますって

言われていたなー、忘れてたなー、

でもクリームをちゃんと塗られなかった人間に

ヘラで膣内を拭ってって難易度高いなー、と思いつつトイレへ。

 

がんばってみましたが、

いやいやこういうのが無理な人間だから手術するのであって……

という開き直り精神がすでに醸成されているので

これもなんとなーくのてきとうな感じで終えてしまいました。

 

そのあとさらに、事前麻酔の事前麻酔。

肩に安定剤注射。これもたしかセルシンだった。

筋肉注射って痛い……。

なぜこういう注射って筋肉注射じゃないといけないのでしょうか?

皮下注射と何が違うのでしょうか?

即効性?それとも液量が多いと筋肉?

と脳内でぶつぶつ考えながら痛みに耐えた。

 

そして診察室へ。

(場所の都合なのか、待合室でささっと注射されていた。)

術中に何かあったときのために母も一緒に。

 

先生は、

「お母さまにこういう話しちゃってもいいのかしら……」

と妙に心配している。

どうしました先生、いつもの調子で

がばがばゆるゆるにしますとか言っていいんですよ。

 

でも母に手術内容を説明するときに取り出した症例写真集が、

前半部分は男性器の症例ばかりのようで

ぱらぱらめくっているときにさまざまな男性器が丸見え。

「あ~これちょっと男性のも載ってるんですけど~」

と一応は言うけれどもさほど気にしていないふうの先生。

さすが先生。

 

でも母も特に動じない。

個人的経験により見慣れているのか、

息子を育てた母だからなのか、

母も天然度合では負けていないからなのか……

まぁここはどうでもよかった。

 

この先生、初診から感じていたんですけど

だいぶ天然……というか適当……というか大雑把……

というかというか。

対して個人クリニックの割には数が多いと感じる看護師さんたちは

配慮が細やかで優しい。

うまく先生をフォローしている感じです。

これぞチームワーク、というクリニックです。

 

外科手術の場合、普段の言動はあまり手術の腕には関係ありません。

本当です。患者への対応が大雑把でも手術は上手い医師もいますし、

対応は細やかなのに手術となるとどうも下手、という医師もいます。

外科手術って手先の器用さがだいぶ影響するんです。

だから言動が天然で大味だなと感じる先生でも大丈夫。きっと大丈夫。

(自分に言い聞かせている。)

 

 

母への説明を終え、手術室へ。

手術室と言ってもいつもの診察台でそのままやるのですが。

 

台に乗り、例の足ぱっかん状態で血圧測定。

なぜか高血圧でした。たしか上が140代。

先生も「なんでかな~?」と言いつつとりあえず準備。

 

腕に麻酔用の針が固定され、事前麻酔その3の点滴が始まります。

こういうのってけっこう早く意識が落ちるはずなのですが

なかなか意識が落ちない。

あ、効いてきた、と感じて

かなりぼーっとはするんですが意識はある。

 

でも目を閉じていたら先生が「じゃあ始めましょう」と言って

カーテンの向こうでかちゃかちゃやり出したので

やばい、あのすごく痛そうな局所麻酔が始まるのに意識ある!

と焦り、まぶたを開けました。

 

声を出そうとするほどには意識レベルがない。

気づいて!という気持ちでまぶたを開けたのです。

なんかこういう怖い映画あったー!

痛覚は残ってるのに手術中動けないっていう映画ー!と思い出しつつ。

 

そうしたらそばにいた看護師さんがすぐに気づいてくれ、

「先生、でもまだまぶた開いてます」

と伝えてくれました。

本当、ここの看護師さん、以心伝心してくれる。すごい。感謝。

 

「え、そうなの。じゃあセルシン2ミリ追加」

という声が聞こえました。

ぼーっとしている状態なので薬の名前や量が正確かはわからない。

ただ「またセルシンか……純粋な麻酔ではないのか……」

と思った記憶が残っている。

 

「先生、まだまぶた開いています」

「じゃああとセルシン1ミリ追加」

 

けれども純粋な麻酔とは何だろう……

抗不安剤も量や使い方によっては

手術用の麻酔にもできるのだろうか……

というか事前麻酔だからだろうか……

先生の好みだろうか……よくわからないな……。

 

…………。

 

 

 

つづく。

 

 

初診②

 

仮眠をとったので続きを書く。

真夜中だが、こういうのは書けそうなときに書いておかないと

いつまでも書かないのだ。私の場合。

 

 

診察室に入り、医師と話を始める。

「今日は婦人科手術についてのご相談ということですけれど、

具体的にはどういったことでしょうか?」と先生は尋ねる。

 

このクリニックは街中の個人クリニックということもあり、

手術はあまり行っていない。

行っている手術は主に「美容婦人科」の手術である。

 

たとえば自分の性器の形が嫌なので小陰唇の一部を切ってほしいとか、

陰核が大きすぎるので小さくしてほしいとか、

陰核の包茎を治してほしい、あるいは包茎状態にしてほしいとか、

性行為をしたときに出血するように処女膜をつくりなおしてほしいとか、

膣壁にヒアルロン酸注射等をして狭くしてほしいなどの要望にこたえる、

 

書いているだけで痛くなってくるような内容のものである。

 

しかし処女膜再生手術というのは私が若いころからあるが、

今でもやる人がいるのだろうか。

 

処女ならば必ず出血するというのは幻想である。

出血しない人や、初めてでもまったく痛くないという人は少なからずいる。

このことはもはや、男性の間でも常識になっているのではないかと思うが、

初めての性行為を神聖な儀式のように捉えている人たちにとっては

出血というのはとても大切な要素のひとつなのかもしれない。

 

あるいは女性側が相手の「常識のない」男性に気を遣っているのだろうか。

夢を壊したくない、という可能性もある。

処女だったのに、出血がなかったせいで「なんだ君は処女じゃなかったのか、このビッチが」みたいなことを言われて傷ついた過去がある、という場合もありそうだ。

強姦されたから、という人もいるのかもしれない……。

 

「そこらへんのことについては全然知識がない人だし、

処女じゃない女性とは結婚したくないって言うし、

でもそれ以外はいい人なんだよね、だから処女を偽装、演出して

結婚まで持ちこもうと思うんだよね、やったるで」

という場合も致し方ないのかもしれない。

相手の男性がとてもお金持ちであるなどであったなら、

必要性はより増すのかもしれない。

 

でも私は男性を喜ばせたいわけでもないし、

自分の性器の形にコンプレックスがあるわけでもない。

性行為が最後までできるようになることが望みである。

 


若いころ、とても悩んでいたときのことを思い出して書く。

 

私は、普通とされている性行為が最後までできないことを

人間的な欠落だと捉えていた。

自分ことを欠陥品だと思っていた。

今も少し思っている。

 

このことが原因で好きな人が去っていってしまうのでないか

という不安も常に抱えていた。

それで去るなら去ればいい、そんな人はこちらも願い下げ、

ということも同時に本心から思っていたけれど、

強がっているところもきっとあったろう。

 

元夫の話は今となってはあまりしたくないが、

この問題について「結婚したら、必ず一緒にがんばるから」と

彼が言ってくれたのは、結婚を決めた大きな理由のひとつだった。

 

その約束はとんでもなく悪質なやり口でもって

反故にされるわけなんですけどね。

 

彼はたぶん、ただ結婚したいだけだった。

乙女みたいなところがあった。幼かったのだ。

そして病的な嘘つきだった。

 

まぁ、これはまた別の話。

 

私は他にも、私は人と違っていて変だ、おかしい、恥ずかしい、と

思うことがいくつかあったので、余計に拍車がかかってしまったのだろう。

20代、特に学生のころなどは、それはそれは病んだ。

 

普通になりたい、といつも思っていた。

普通ではない自分の部分は、どうにかしたくて仕方なかった。

だから努力できるところは努力してきた。

 

でも性行為で挿入がほとんど行えないことについては、

ついに克服できないまま今に至っている。

 

けれど年齢を重ねてきたせいか、

あるいは自分に自信を持つことができるようになってきたのか、

あまり気にしないようになってきていた。

 

私がやっとそうなってきたところで、

処女膜強靭症というものが医療業界で認知され始め、

手術に対応してくれる医療機関ができ始めた。

 

なんとなく、面白いなと思う。

ひとりで苦しんで、ひとりで乗り越えたところで

神の助けを描いた古い絵画のように、

天上の雲の間から医療の助けの手が伸びてきたのである。

 

「もっと若いころにしてほしかったなぁ」と思うし

人にもそんなふうにこの件について話すが、

心のどこかでは、なぜかこの妙なタイミングを面白がって、

腑に落ちている。人生ってこういうときあるよね、みたいな。

 

 

話を戻す。

 

先生の質問に、私は答える。

「あの何て言うか……処女膜を切りとる手術をしてほしんです。

やっていただけると、クリニックの紹介に書いてあったので……」

やっぱりまだ恥ずかしさはあって、恐る恐る言う、という感じだった。

 

そのあとも、いろいろと恥ずかしい受け答えをしなければならなかった。

 

「失礼ですけど、経験はあるんですか?」

「あ、はい、二十歳前後に……(なんとなくぼかしてしまう)」

「そのときは挿入できた?」

「だいぶ苦労しましたけど、一応できました。

でも2回目や3回目も痛くて……痛くないときもあったんですけど」

「それ以降は?」

「えーと、何人かの方とお付き合いしましたが、

ちゃんと挿入できたことはありません……」

「なるほどー。指も痛い?」

「痛いです」

「一本でも?」

「痛いですね」

「タンポンも入らない?」

「無理ですね」

「病院には行きましたか」

「何度か婦人科で診てもらいましたが、特に異常はないと……」

「性行為のときに濡れますか?」

「あ、はい、一応……」

「潤滑用のジェルを使ってみたりしてもだめだった?」

「はい……」

 

等々である。

 

「うーん、ここに来るような方はね、もう悩みに悩んで、

いろいろ試し尽くしてから来たっていう人が多いのよね。

この問題には心理的な要因も関係してくるけれど、

そうじゃないってはっきり言う方が多いのよね」

 

わかる、ほんまそれ、と私は言いかけたが

心の中で言うのにとどめておいた。

 

「だからたぶんあなたもそうなんだと思うの、

実際何人かの男性とお付き合いしてきて、

性的な行為自体はしてきてるんだものね。

ただ、身体的な問題でできない、つまり処女膜強靭症だったとしても

心理的なことっていうのは関係してくるの。

手術して痛くなくなったとしても、やっぱりできないですって

なる方もいるの。その可能性は考えておいてね」

 

私はこのとき、ふーん、まぁお医者さんっていうのは

あらゆる可能性を言うよね、という感じで心理的な面を甘くみていた。

 

この記事を書いている時点ではまだ手術は受けていないし、

手術後に試してみたわけでもないので、

性行為時の心理的な問題ではないのだが……。

 


「じゃあとりあえず診察してみましょうか」

と先生が言い、私は例の診察台に乗っかることになる。

 

女性の方なら検診などでも経験がある方が多いと思うが、

椅子状の診察台に足を乗せる台がついていて

それが開いてぱっかーんとなる例のあれです。

 

「カーテンあるほうがいい?ないほうがいい?」

「えーと……あるほうがいいです」

たいてい、患者のお腹のあたりにカーテンが来るようになっていて

自分の性器に対してなされるあれやこれやは見えないようになっている。

このクリニックでは、「何をしているか見えるほうが安心する」という人も

いるので、選択できるようにしているそうだ。

私はたぶんどちらかというとあまり見たくないタイプなので、

カーテンありにした。

 

しかし驚いたのは、壁の上のほうに液晶画面がついていて、

診察しようとしている性器がどアップで映し出されたことである。

 

えええええ……。

自分の性器どアップで見ながら?なんで?

 

私はかなりの衝撃を受けた。

今までの検査等では、こんな画面はなかった。

 

はっきり言ってグロい。

まぁ誰でもある程度はグロいらしいのだが、

こんなアップって。それを患者に見させるって。

 

この画面について、特に説明はなかった。

なんなんだ。ここらへんではこれが当たり前なのか?

当たり前のことすぎて説明がなかったのか?

 

びっくりしているうちに、さっさと診察が始まる。

 

外形を診察しているうちはまだよかった。

私は外の部分の皮膚が薄いらしく、それで痛いということもあるらしい。

先生は「ほら、ここらへんね、血管が見えるでしょ、

たぶん少し炎症起こしてる、もともと皮膚が薄いみたいね」

とか言いつつ画面上で指さして説明してくれる。

 

しかし先生はこのあと何も言わず、すいーっと内診に移ったのだ。

今までの婦人科では、今から〇〇(指や器具)を入れますね~

ゆっくりしますから大丈夫ですよ、力を抜いてくださいね~などと

言ってくれてからやってくれていた。

実際にゆっくりやってくれていたようにも思う。

 

鋭い痛みを感じ、私は焦った。

ちょ、痛いです……!とつい口走ってしまった。

先生は呑気な声で、

「今はね~小指を入れてるの~これでも痛い?」とかおっしゃる。

 

痛いって言ってますけどー!!

 

とは言いませんでした。言えませんでした。

このあたりから呼吸がおかしくなり始め、

はぁはぁしながら「ちょっと、本当に痛いです、あの……」みたいな

声にならない声のようなものをぼそぼそと言っていただけだった。

先生には聞こえなかったのかもしれない。

 

もうだんだん、「ちょっと……あの……ちょっと……」

と息の合間に言うのが精いっぱいくらいになってきたところで

看護師さんが異常を察知したのか

カーテンの向こうから横に来てくれて、

大丈夫ですか?と声をかけてくれた。

 

その時点でどうも私は一目見て顔色が悪かったらしく

看護師さんは「気分が悪いです?吐きますか?」と訊いてきた。

すごいわかってる、そうです吐きそうです、と思った。

もう頭がくらくらしてきて、冷や汗が出て、猛烈な吐き気がしていた。

 

このときのことは記憶が曖昧なのだが、

さすがに先生も気がついて看護師さんに血圧測定の指示を出した。

触診も当然やめていたと思う。

しかし私の足はまだ診察台に高々と上がって開いたままで、

恐怖心はおさまらず、私は我慢できず吐いてしまった。

 

看護師さんはすごい。

ちゃんと私の口の下に吐いたとき用の容器をセットしてくれていた。

その日は私は食事を摂っていなかったので、

クリニックへ行く直前に飲んだアップルジュースが出た。たぶん。

お高めのおいしいアップルジュースだったのにかなしい。

 

いつのまにか血圧も測られていて、

上70の下50くらいだったと記憶している。

看護師さんが、「ゆっくり呼吸してください、ゆっくりゆっくり」と

言ってくれていたのだが

頭がくらくらしていて自分の呼吸の状態がよくわからない。

が、おそらく過呼吸になっていたのだろう。

手足が痺れてきていた。

 

私は泣きながら、「もうやめたいです、足下げたいです」と言っていた。

先生は「もう診察はやめてるよ、大丈夫だよ」と言う。

「じゃあどうして……」足がそのままなのか、降ろさせてほしい、と

言いたかったがうまく言えなかった。

 

「血圧が下がってるからね、今足を下げると危険なの」

ということだった。

確かに、聞いたことがあるような気がする。

救急時の処置だっけ?脳や心臓に優先的に血液が行くように足を上げるのだ。

でも低血圧時もそうするのだとは知らなかった。

血圧が下がっているときに脳へ行く血がさらに減ると

意識がなくなったりするのかもしれない。

なるほどなるほどー。

 

と考えられたのはもちろん落ち着いてからのことで、

このときは「え?そうなの?なんで??たすけて」と

思考がまとまらなかった。

 

しばらくして血圧が上がってきて、足を下げさせてくれた。

でも手足が痺れたままだったので、ベッドのある部屋に

車いすに乗せて運んでくれた。そこでしばらく休ませてもらった。

 

診察台に上がった時点で下半身は裸なので、

車いすのときやベッドで横になっているときなど、

看護師さんたちがいろいろ配慮してくれてありがたかった。

 

落ち着いてきたので、下着をはいて服を着て、診察室に戻る。

 

なんだか、先生はこういう事態にも慣れているようだった。

正直、もう少し説明しながらゆっくりしてくれたら

ここまでパニックにはならなかったかもしれないのになぁ……とは

思ったが、小指を入れただけでこうなる人は少ないのだろうし

仕方ないのかもしれない。私は謝った。

大人なのになぁ、と思って恥ずかしかった。

 

「うーん、だいぶ恐怖心が強いみたいね。

まぁ、今までの痛い経験とか、思い出したんでしょうね」

と言われた。

 

たぶんそうなんだろう、と思った。

自分は、この問題についてもうあまり気にしないようになったと思っていたが、

痛みや恐怖の記憶はまだ強く残っていたのだ。

 

そして思った。

私は今まで、意外と、がんばって耐えていたんだなぁと。

 

本当は痛くて恐ろしくて嫌なのに、

相手をがっかりさせたくないという気持ちや

欠陥品のままでいたくないという気持ちが強すぎて

「克服したい」ではなくて

「克服しなければならない」と自分で自分に義務を課していたのだ。

大きくて、重い声で。

自分自身に対して、もっとも自分自身こそが、

大きくて重い声で義務を説いていたのだ。

 

それに対して私は耐えていたのだ。

 

本当は、なぜここまでの思いをして行為をしなければならないのか、

なぜ挿入がなければいけないのか、

それがそんなに大事なことなのか、

私が男だったらきっとこだわったりしない、

人間として相手が好きだったら強要したりしないし

それでがっかりしたりなんかしない、

 

おかしい。

 

と感じていたのだと思う。

 

でも実際に付き合った人たちを思い返すと、

表だって強要した人は少なかった。

 

もちろんそういう人でもいざ行為中になると

挿入したがる人が多かったが、無理やりしようとする人はいなかった。

 

しかし私にとっては、男性に上に乗られて足を開いている時点で、

もしかしていきなり入れられてしまうのでないかと

いつもとても恐ろしかった。

相手がしようと思えばいつでもそうできる体勢にはなっているのだから。

 

でも私はその恐ろしさをなぜか感じていなかった。

正確に言うなら、恐ろしさをさほど感じていないふりをしていた。

 

そうだよね、男の人は入れたがるもの、

だってみんな普通はそうするんだし、

入れたがるのは仕方ない、

つまり「恐ろしいことなんかではなく、当然のこと」

として自分の中で扱い、男性の欲に対する恐怖を軽減していたのだ。

 

言い換えれば、理性的な大人のふりをしていた。

男性の欲を理解し、仕方のないことと思い相手に謝る、

そして「なるべく痛みを我慢するようにがんばるからね」と言って

前向きなふりをする。

 

けれど本当はがんばりたくなんかなかったのだ。

実際、すごく痛いのだ。

どうしてこんなに痛いのにがんばらないといけないのか。

相手は何も痛くないのに。

むしろ快楽や、一体感を求める、一方的な欲じゃないか。

それが悪いこととは言わない。

でも、私はこんなに痛いのに。

そしてそれを、耐えなければと、努力しているのに。

 

心から気を遣ってくれていた人なんて、誰もいない。

 

いくら人間も動物であり、挿入行為が生物的な本能であるとしても、

それでも、放棄してほしかった。

他の手段での快楽で、充足する術を覚えてほしかった。

何かが足りない、そんなことを思ってほしくなかった。

 

だって私のことを好きだって言ってくれているのに。

一緒にいたいと言ってくれているのに。

 

 

 

 

診察台での一件で、私は今までの自分の気持ちを理解した。

 

そして理解すると、なんだか楽になった。

手足の先にはまだ少し痺れが残っていたが、

心はなぜか軽かった。

 

先生は私の局部の写真を見ながら言った。

「けっこう強い強靭症だね。どうしましょうか?手術しますか?」

 

私は初めて心から前向きに、「手術したい」と言えた気がする。

 

 

でも先生、局部の写真をずっと机の上に置いたまま

手術の話をするのはやめてほしかったです。

医療従事者の方たちは慣れていて

レントゲン写真くらいに思っているのだろうけど、

患者は慣れてないんだー!

恥ずかしいものは恥ずかしい。

 

そういえば諸々の説明の最後に、

先生が言いにくそうに言った。

「えっと……確認しときたいことがあるんですけどね」

「はい」

「あのね、何て言うか……切り取る範囲はどうします?」

「え?」

「いや、えっとね、あんまり切っちゃうと広がりすぎるというか」

「あー、なるほど」

男性があまり気持ちよくなくなっちゃうかもしれない、ということである。

「狭くしてくれって言う人もいるくらいだから~」

「いや、私はできるだけ取ってもらってかまわないです」

「ほんとに?がばがばでもいいの?」

「はい」

「ほんとに……いいの?」

「むしろがばがばでいいです!」

 

診察室にいた看護師さんたちに受けたので、よかったと思う。

「わかりました、まぁ、あとで狭くもできるからね、いっか」

と先生も笑いながら言った。

 

いや狭くとか絶対しない。

と思っているけど、まぁ未来のことはわかりませんね。

 

 

 

というわけで長くなりましたが

今週、手術を受けてきます。

 

今から緊張する……。

診察台でパニックになったせいか、

静脈麻酔と事前麻酔が追加になったし。

局所麻酔だけでも本来はできる手術なんですけどね。

 

あと皮膚が薄くてつっぱったりしていることによる

外側の痛みについては何種類かクリーム塗ったり

ホルモン剤飲んだり、いろいろしてみなきゃってことで

ここ一か月ほどやっています。

でもこれ元からじゃないのかなー?

炎症がおさまってもたぶん

擦られたりすると痛いのは変わりないんじゃかなー?

と個人的には思っていますが

とりあえず治療を試してみないことには。という感じで。

 

 

手術後にまた書きます。

 

蛇足が多い内容で申し訳ないですが、

もし同じような症状の方で何か質問等ありましたら

コメントに書いていただければ答えますのでお気軽に。

 

 

初診①

 

長い前置きから、しばらく間があいてしまいましたが

この間、診察に行ってきました。

 

クリニックは隣県の県庁所在地の駅前に広がる、賑やかな街中にある。

学生時代はこの街が遊びや買い物の場所だったので懐かしかった。

 

地理もだいたい覚えていて、ほとんど迷わずたどり着くことができた。

ビルのワンフロアを使っているクリニック。

診察室などは少し狭いけれど、綺麗で新しく清潔感があり

室内デザインもどことなく可愛らしく、

待合室にはフラワーアレンジメントなどが飾られている。

 

都市型婦人科クリニック、というあの感じです。

女性の方ならなんとなく想像できる方が多いのでは。

 

ただ受付に男性の方がいたので、少し驚く。

まず個人クリニックの受付(兼医療事務も多々)の方って

女性がほとんどなんですよね。

しかも婦人科なのに、と思ってしまいました。

 

でも自分が慣れていないだけだし、

職業に性別は関係ないよね……と思いつつ

「今日はどういったご相談で?」と訊かれた時は

えっ、診察室じゃなくてここで言うの?

しかも男性の人に?ってちょっと戸惑って間が空いてしまった。

 

それに予約の時も電話で言ったじゃないかー!

 

診察の予約電話をした時……(回想)

 

電話の相手は女性だったが、

「どういった内容のご相談でしょう?」と訊かれたので

「婦人科の手術のです」と答えたら

「何の手術でしょうかねぇ?」と。

 

えっ……言わないといけないのか……。

 

まず周囲を確認した。

そのとき大学院のお昼休みだったのだが(社会人向けの院に通っている)

敷地内にはもちろん大学もあり、そして大学というところでは

ちょうど今、海から網を揚げて甲板にばしゃーっと広げたばかりです

みたいな、ピッチピッチ跳ねまくっている大学生が大漁なのです。

 

周りがピッチピッチしているところで、

「処女膜切開手術」という単語を出すわけにはいきません。

そんな単語を聞かれたが最後、

大学生諸君はビチビチビタビタさらに跳ねまくって

私をガン見するかお互いでビタンビタン笑い合うか

その両方かに決まっているのです。

 

偏見ですね。

自分が大学生の時にあまりいい思い出がないのです。

 

でも私は周到に準備していた。

何か恥ずかしい単語を言わなければならないこともあるかもしれないと

想定して、図書館脇の、人気のいないところを選んで電話をかけていたのだ。

 

さすが私。

伊達に暗黒の大学生時代を送っていない。

 

「処女膜の切開の手術の相談です……」

となるべく小さな声で言った。

「えーと……形成ではないですね?」

「あ、はい、切開のほうです。切開というか、切り取るということですけど」

 

処女膜というのは、膜とはついているが正確には膜ではない。

粘膜の膜と同じような意味である。

女性の膣に一枚の膜みたいなのが張っていたら

完全に塞がってしまうやないか、月経の時にどないすんねん、

ということを考えればわかるかと思います。

 

まぁ何と言うか、ひだみたいなものです。

だから切開というとその字のごとく「切って開ける」というイメージで

一枚の膜が張っているという誤解をさらに広めるような気がするので

術名の記載の際には、処女膜切除手術のほうがいいと思うのですが

どうでしょうか全国の医師の皆さま。

 

 

蛇足はさておき。

回想も終わり。

 

予約の時にも言ったのにまた受付でも言うのかーと思いつつ

「えっと……手術についての相談で……」と濁すと

受付の男性の方は、あ、なるほど、という感じで

奥から出て来た女性の看護師さん(受付と医療事務も兼務?)と交代。

 

初診時の問診票を渡される。

待合室の椅子に座り、

「本日のご相談内容」のところには

「婦人科手術について」と書く。

受付で問診票を返すときにまた男性の方に交代している場合を想定して

詳しくは書かなかったのである。

私、とても慎重。トテモカシコイ。

 

問診票を受付に渡したあとは(受付はさきほどの女性看護師さんのままだった)

尿検査用の紙コップを渡されて、トイレへ。

 

トイレ、広い。綺麗。アメニティもいろいろ置いてある。

やっぱり婦人科はこういうところがいいな。

総合病院なんかの簡素な感じもそれはそれで「病院だなぁ」

という感じでいいんだけど。

でも壁に貼ってあるプラセンタエキスがどうのコラーゲンがどうのは

いらないんじゃないかな……女性向けのクリニックだと

そういう商売もやっぱしないといけないのかな……

医学的にはそんなに効能は証明されていないのではなかったか……

こういう街中のクリニックは賃料が高くて意外と大変なのかもしれない……。

 

とかなんとか考えているうちに尿を取り終わり、

トイレの壁にある小さなドアを開けて、向こう側に置く。

健康診断のときにやるあれですね。

あの小さなドアってなんか、医療業界的ロマンがありますよね。

 

医療業界的ロマン。わかりますでしょうか。

昔は自分で尿入り紙コップを持って外に出て行って渡してましたよね。

ちょっと嫌だった。

今はどこへ行ってもちゃんとあの小さなドアがあります。

患者さんの感情や、衛生面を考えればこのほうが当然いいもんね。

そういう、医療業界側の

「ちょっと私たちの感覚と一般の感覚との間には解離があるから、

一般の感覚を取り入れていこう」というゆっくりとした進化、

本当にとてもゆっくりとした進化。

それが見てとれる点が、ロマンなのです。

いや待て、ロマン……?(自分でもよくわかっていない)

 

 

蛇足を書きすぎである。

本題に戻る。

 

 

しばらくして名前を呼ばれ、診察室に入る。

医師の先生は女性である。

やはり婦人科の医師は女性のほうがなんとなく安心する。

職業に性別は関係ないよねと思いつつ、女性特有の悩みである場合は

仕事でやっていることであっても女性のほうがいいなと思ってしまう。

ここらへん、難しい問題ですがまた蛇足になるので置いといて。

 

この先生、なかなか面白い方だった。

途中、診察台で私が過呼吸気味になって気分が悪くなり吐く、

ということなどがあったが最後は笑って終わった。

 

長くなったので診察室以降は次の記事で。

 

長い前置き

 

とにかく痛い。

 

何が痛いって、あれですよ。

あれあれ。

 

好きな人ができるでしょ。

なんとかうまくいって付き合うに至ったとするでしょ。

そしたらあれをするじゃないですか、だいたいの場合。

 

別に子孫繁栄のためじゃないけど。

あれすると、嬉しいというか、安心するというか、

まぁ何て言うか、セックス。

 

 

私にとって問題が発生するのは、世間一般、あるいは人類の始まりから

当たり前または自然とされている性行為の順序において、

最終局面に待ち構えている挿入という行為の局面である。

 

それまではたぶんスムーズにいっている。

というか普通。たぶん。

しかし男性器を私側の女性器に挿入しようとすると、痛い。

すごく痛い。とうてい入らない。

 

分泌液は相当程度出ていると思うし

むしろ、けっこう濡れてるね、とか言われたりする。

(よくそんなこと言えるなエロスの権化か?)

 

でも指一本でも痛い。

男性器が標準より大きかったりすると絶望すらおぼえる。

小さい人だと希望が感じられる。

 

処女というわけではない。

19歳くらいの時に付き合った人と初めてした。

これもだいぶ苦労したし、とても痛かったけど、

最初はそんなものかなとも思った。

 

でも2回目も3回目も同じくらい痛くて、

あまり積極的に挿入まではせず、しばらくしてその人とは別れた。

性行為が問題で別れたのではない。たぶん。

 

それ以降、何人かの人と付き合ったし、結婚も一度したが

挿入に成功したことは一度もない。

 

初体験から十数年が経ち、

ともすれば熟女などと言われかねない年齢になっているのに

まったく熟れていない、ピュア♡性器である。

 

気持ち悪い書き方をしてしまった。

それに別にピュアではなかった。

 

付き合った人の多くが年下で、童貞の人が多かったことや、

挿入行為が苦手な男性を引いてくる能力がなぜか高いことなどから

問題は解決されないままに今に至る。

 

挿入行為のみが苦手な男性、っているんですよ。

EDというわけじゃないし、性欲がないわけでもないんです。

でも入れるとなると、急にできなくなる。

男性版私、みたいな人です。

私以外の女性とも、それだけができない人です。

不思議と惹かれあうものでもあるんでしょうか。

確率を考えると引いてくる率が高すぎます。謎です。

 

 

若いころは非常に悩み、

私は生物として、また女性として欠陥品だと思い、

というか今でもそれは思ってるんだけれども、

精神的にとてもとても大変でした。

 

このことが原因で振られたこともあります。

ひどい。てめぇ、一緒にがんばろうねくらいの意気込みは見せろよな。

まぁもともと私のことがそれほど好きではなかったということなんだろうけど。

 

この年齢(30代後半)になってから、少しずつ楽になってきました。

子どもが欲しいという気持ちは昔からあまりなかったので

まだよかったのかもしれません。

もし、そういう気持ちが強かったなら、

落ちこみすぎて死んでいたかもしれません。

 

 

もういろいろ、いいかな、

楽になっていいか、という気持ちになってきて。

 

でもまたちょっと、好きな人ができてしまった。

 

すごく好きかと言われると、たぶんまだそれほどでもない。

相手も、そこまでの感じじゃない。

 

でも私ってなぜか私にあまり興味がない感じの人が好きで、

つかみどころがないというか、飄々としているというか、そういう人に弱い。

こういうところも私の女としての不幸の始まりかもしれないんだけど。

 

それでその人が少し、こう、寄ってきてくれてるわけです。

 

 

私の信条なのですが、私のこのからだの問題については

付き合う前に話すことにしています。

それでもOKという人とだけ付き合うことにしています。

相手が、身体的な繋がりを大事にしている人だと申し訳ないから。

 

挿入という行為に私はそれほど意味を感じないけれども、

感じる人が多いのだろうし、相手がまた特別そういう人なら

かなしいけれど縁がなかったということで諦めるしかない。

 

相手にも、好きな人と大事な何かを共有する自由、

みたいなものがあるのだから。

 

それに、過去、事前に話さないまま付き合って振られた時に

ダメージが大きかったから、自分を守るためでもある。

 

 

 

前置きが長すぎて自分でもしんどくなってきた。

 

とにかくまた性行為をする必要がでてきたっぽいのです。

このからだの問題を解決してくれる医療機関はないのかと

過去にさんざん探したり試したりしたのですが

真摯に検討してくれるところはありませんでした。

 

ももう一度調べなおしてみたら、

対応してくれるところが少しずつできてきているようなのです。

 

遅い。遅すぎる。

医療界め、やっと私に追いついたか。

 

処女膜強靭症というなんだかすごい名前がつけられ、

保険適用がされることもあるようです。

 

ただまだちゃんと診断できる医師が少なく、

手術は大半が自費で、やっているのも美容外科がほとんど。

 

でも昔は美容外科でさえ診療内容になかった……。

処女膜形成手術なんかはあったけど。

形成ができるなら切りとることもできるだろ、切れ、と思ったけど

経験のない人に闇雲に切ってもらうのも怖いので言ってみたりはしなかった。

 

まぁとにかく診療内容に表記されるようになっただけでも

私にとっては大きな進歩です。

 

そんな中で、婦人科で対応しているクリニックが隣県にあったので

予約を入れてみました。

 

今現在の進捗はここまでです。

まだ診察にも行っていません。

でもすでに手術する気満々です。

 

少しでも処女膜強靭症について認識が広まればいいな、

と思ったのでブログに記録しておくことにしました。

 

精神的な問題を、精神的な問題として扱ってもらえないのはかなしいことで、

現代に入り、医療、福祉、心理、また世間一般においても

人間の精神に対する「見直し」が盛んに行われるようになっていますが

 

身体的な問題を、身体的な問題ではなく

精神の問題としてだけ扱われてしまうのも、

それはそれでかなしいことです。

 

性行為に関することで、そして女性となると特に、

精神的な部分だけが注目されてしまうことが多いように感じます。

 

何かトラウマがあるんじゃないかとか、

無意識の領域で性行為に対して嫌悪感を抱いているんじゃないかとか。

 

現代は、精神を軽視してきた近代への反省が大きすぎて、

「そこしか見ない」ということも増えてきているような。

 

もちろん精神と身体は密接に繋がりあっており、

精神が身体に多大な影響を及ぼすことはとても多いです。

 

しかし逆もしかり。

 

 

 

単にちょっと手術すればいいだけなら、

どんどんしちゃえばいいじゃーん。

 

悩みすぎると本当、自死までいってしまう人もいるような問題なので

これくらいのスタンスでいいと思っています。

 

 

つづく。