好きで強くなったわけじゃない

処女膜強靭症についての話

初診②

 

仮眠をとったので続きを書く。

真夜中だが、こういうのは書けそうなときに書いておかないと

いつまでも書かないのだ。私の場合。

 

 

診察室に入り、医師と話を始める。

「今日は婦人科手術についてのご相談ということですけれど、

具体的にはどういったことでしょうか?」と先生は尋ねる。

 

このクリニックは街中の個人クリニックということもあり、

手術はあまり行っていない。

行っている手術は主に「美容婦人科」の手術である。

 

たとえば自分の性器の形が嫌なので小陰唇の一部を切ってほしいとか、

陰核が大きすぎるので小さくしてほしいとか、

陰核の包茎を治してほしい、あるいは包茎状態にしてほしいとか、

性行為をしたときに出血するように処女膜をつくりなおしてほしいとか、

膣壁にヒアルロン酸注射等をして狭くしてほしいなどの要望にこたえる、

 

書いているだけで痛くなってくるような内容のものである。

 

しかし処女膜再生手術というのは私が若いころからあるが、

今でもやる人がいるのだろうか。

 

処女ならば必ず出血するというのは幻想である。

出血しない人や、初めてでもまったく痛くないという人は少なからずいる。

このことはもはや、男性の間でも常識になっているのではないかと思うが、

初めての性行為を神聖な儀式のように捉えている人たちにとっては

出血というのはとても大切な要素のひとつなのかもしれない。

 

あるいは女性側が相手の「常識のない」男性に気を遣っているのだろうか。

夢を壊したくない、という可能性もある。

処女だったのに、出血がなかったせいで「なんだ君は処女じゃなかったのか、このビッチが」みたいなことを言われて傷ついた過去がある、という場合もありそうだ。

強姦されたから、という人もいるのかもしれない……。

 

「そこらへんのことについては全然知識がない人だし、

処女じゃない女性とは結婚したくないって言うし、

でもそれ以外はいい人なんだよね、だから処女を偽装、演出して

結婚まで持ちこもうと思うんだよね、やったるで」

という場合も致し方ないのかもしれない。

相手の男性がとてもお金持ちであるなどであったなら、

必要性はより増すのかもしれない。

 

でも私は男性を喜ばせたいわけでもないし、

自分の性器の形にコンプレックスがあるわけでもない。

性行為が最後までできるようになることが望みである。

 


若いころ、とても悩んでいたときのことを思い出して書く。

 

私は、普通とされている性行為が最後までできないことを

人間的な欠落だと捉えていた。

自分ことを欠陥品だと思っていた。

今も少し思っている。

 

このことが原因で好きな人が去っていってしまうのでないか

という不安も常に抱えていた。

それで去るなら去ればいい、そんな人はこちらも願い下げ、

ということも同時に本心から思っていたけれど、

強がっているところもきっとあったろう。

 

元夫の話は今となってはあまりしたくないが、

この問題について「結婚したら、必ず一緒にがんばるから」と

彼が言ってくれたのは、結婚を決めた大きな理由のひとつだった。

 

その約束はとんでもなく悪質なやり口でもって

反故にされるわけなんですけどね。

 

彼はたぶん、ただ結婚したいだけだった。

乙女みたいなところがあった。幼かったのだ。

そして病的な嘘つきだった。

 

まぁ、これはまた別の話。

 

私は他にも、私は人と違っていて変だ、おかしい、恥ずかしい、と

思うことがいくつかあったので、余計に拍車がかかってしまったのだろう。

20代、特に学生のころなどは、それはそれは病んだ。

 

普通になりたい、といつも思っていた。

普通ではない自分の部分は、どうにかしたくて仕方なかった。

だから努力できるところは努力してきた。

 

でも性行為で挿入がほとんど行えないことについては、

ついに克服できないまま今に至っている。

 

けれど年齢を重ねてきたせいか、

あるいは自分に自信を持つことができるようになってきたのか、

あまり気にしないようになってきていた。

 

私がやっとそうなってきたところで、

処女膜強靭症というものが医療業界で認知され始め、

手術に対応してくれる医療機関ができ始めた。

 

なんとなく、面白いなと思う。

ひとりで苦しんで、ひとりで乗り越えたところで

神の助けを描いた古い絵画のように、

天上の雲の間から医療の助けの手が伸びてきたのである。

 

「もっと若いころにしてほしかったなぁ」と思うし

人にもそんなふうにこの件について話すが、

心のどこかでは、なぜかこの妙なタイミングを面白がって、

腑に落ちている。人生ってこういうときあるよね、みたいな。

 

 

話を戻す。

 

先生の質問に、私は答える。

「あの何て言うか……処女膜を切りとる手術をしてほしんです。

やっていただけると、クリニックの紹介に書いてあったので……」

やっぱりまだ恥ずかしさはあって、恐る恐る言う、という感じだった。

 

そのあとも、いろいろと恥ずかしい受け答えをしなければならなかった。

 

「失礼ですけど、経験はあるんですか?」

「あ、はい、二十歳前後に……(なんとなくぼかしてしまう)」

「そのときは挿入できた?」

「だいぶ苦労しましたけど、一応できました。

でも2回目や3回目も痛くて……痛くないときもあったんですけど」

「それ以降は?」

「えーと、何人かの方とお付き合いしましたが、

ちゃんと挿入できたことはありません……」

「なるほどー。指も痛い?」

「痛いです」

「一本でも?」

「痛いですね」

「タンポンも入らない?」

「無理ですね」

「病院には行きましたか」

「何度か婦人科で診てもらいましたが、特に異常はないと……」

「性行為のときに濡れますか?」

「あ、はい、一応……」

「潤滑用のジェルを使ってみたりしてもだめだった?」

「はい……」

 

等々である。

 

「うーん、ここに来るような方はね、もう悩みに悩んで、

いろいろ試し尽くしてから来たっていう人が多いのよね。

この問題には心理的な要因も関係してくるけれど、

そうじゃないってはっきり言う方が多いのよね」

 

わかる、ほんまそれ、と私は言いかけたが

心の中で言うのにとどめておいた。

 

「だからたぶんあなたもそうなんだと思うの、

実際何人かの男性とお付き合いしてきて、

性的な行為自体はしてきてるんだものね。

ただ、身体的な問題でできない、つまり処女膜強靭症だったとしても

心理的なことっていうのは関係してくるの。

手術して痛くなくなったとしても、やっぱりできないですって

なる方もいるの。その可能性は考えておいてね」

 

私はこのとき、ふーん、まぁお医者さんっていうのは

あらゆる可能性を言うよね、という感じで心理的な面を甘くみていた。

 

この記事を書いている時点ではまだ手術は受けていないし、

手術後に試してみたわけでもないので、

性行為時の心理的な問題ではないのだが……。

 


「じゃあとりあえず診察してみましょうか」

と先生が言い、私は例の診察台に乗っかることになる。

 

女性の方なら検診などでも経験がある方が多いと思うが、

椅子状の診察台に足を乗せる台がついていて

それが開いてぱっかーんとなる例のあれです。

 

「カーテンあるほうがいい?ないほうがいい?」

「えーと……あるほうがいいです」

たいてい、患者のお腹のあたりにカーテンが来るようになっていて

自分の性器に対してなされるあれやこれやは見えないようになっている。

このクリニックでは、「何をしているか見えるほうが安心する」という人も

いるので、選択できるようにしているそうだ。

私はたぶんどちらかというとあまり見たくないタイプなので、

カーテンありにした。

 

しかし驚いたのは、壁の上のほうに液晶画面がついていて、

診察しようとしている性器がどアップで映し出されたことである。

 

えええええ……。

自分の性器どアップで見ながら?なんで?

 

私はかなりの衝撃を受けた。

今までの検査等では、こんな画面はなかった。

 

はっきり言ってグロい。

まぁ誰でもある程度はグロいらしいのだが、

こんなアップって。それを患者に見させるって。

 

この画面について、特に説明はなかった。

なんなんだ。ここらへんではこれが当たり前なのか?

当たり前のことすぎて説明がなかったのか?

 

びっくりしているうちに、さっさと診察が始まる。

 

外形を診察しているうちはまだよかった。

私は外の部分の皮膚が薄いらしく、それで痛いということもあるらしい。

先生は「ほら、ここらへんね、血管が見えるでしょ、

たぶん少し炎症起こしてる、もともと皮膚が薄いみたいね」

とか言いつつ画面上で指さして説明してくれる。

 

しかし先生はこのあと何も言わず、すいーっと内診に移ったのだ。

今までの婦人科では、今から〇〇(指や器具)を入れますね~

ゆっくりしますから大丈夫ですよ、力を抜いてくださいね~などと

言ってくれてからやってくれていた。

実際にゆっくりやってくれていたようにも思う。

 

鋭い痛みを感じ、私は焦った。

ちょ、痛いです……!とつい口走ってしまった。

先生は呑気な声で、

「今はね~小指を入れてるの~これでも痛い?」とかおっしゃる。

 

痛いって言ってますけどー!!

 

とは言いませんでした。言えませんでした。

このあたりから呼吸がおかしくなり始め、

はぁはぁしながら「ちょっと、本当に痛いです、あの……」みたいな

声にならない声のようなものをぼそぼそと言っていただけだった。

先生には聞こえなかったのかもしれない。

 

もうだんだん、「ちょっと……あの……ちょっと……」

と息の合間に言うのが精いっぱいくらいになってきたところで

看護師さんが異常を察知したのか

カーテンの向こうから横に来てくれて、

大丈夫ですか?と声をかけてくれた。

 

その時点でどうも私は一目見て顔色が悪かったらしく

看護師さんは「気分が悪いです?吐きますか?」と訊いてきた。

すごいわかってる、そうです吐きそうです、と思った。

もう頭がくらくらしてきて、冷や汗が出て、猛烈な吐き気がしていた。

 

このときのことは記憶が曖昧なのだが、

さすがに先生も気がついて看護師さんに血圧測定の指示を出した。

触診も当然やめていたと思う。

しかし私の足はまだ診察台に高々と上がって開いたままで、

恐怖心はおさまらず、私は我慢できず吐いてしまった。

 

看護師さんはすごい。

ちゃんと私の口の下に吐いたとき用の容器をセットしてくれていた。

その日は私は食事を摂っていなかったので、

クリニックへ行く直前に飲んだアップルジュースが出た。たぶん。

お高めのおいしいアップルジュースだったのにかなしい。

 

いつのまにか血圧も測られていて、

上70の下50くらいだったと記憶している。

看護師さんが、「ゆっくり呼吸してください、ゆっくりゆっくり」と

言ってくれていたのだが

頭がくらくらしていて自分の呼吸の状態がよくわからない。

が、おそらく過呼吸になっていたのだろう。

手足が痺れてきていた。

 

私は泣きながら、「もうやめたいです、足下げたいです」と言っていた。

先生は「もう診察はやめてるよ、大丈夫だよ」と言う。

「じゃあどうして……」足がそのままなのか、降ろさせてほしい、と

言いたかったがうまく言えなかった。

 

「血圧が下がってるからね、今足を下げると危険なの」

ということだった。

確かに、聞いたことがあるような気がする。

救急時の処置だっけ?脳や心臓に優先的に血液が行くように足を上げるのだ。

でも低血圧時もそうするのだとは知らなかった。

血圧が下がっているときに脳へ行く血がさらに減ると

意識がなくなったりするのかもしれない。

なるほどなるほどー。

 

と考えられたのはもちろん落ち着いてからのことで、

このときは「え?そうなの?なんで??たすけて」と

思考がまとまらなかった。

 

しばらくして血圧が上がってきて、足を下げさせてくれた。

でも手足が痺れたままだったので、ベッドのある部屋に

車いすに乗せて運んでくれた。そこでしばらく休ませてもらった。

 

診察台に上がった時点で下半身は裸なので、

車いすのときやベッドで横になっているときなど、

看護師さんたちがいろいろ配慮してくれてありがたかった。

 

落ち着いてきたので、下着をはいて服を着て、診察室に戻る。

 

なんだか、先生はこういう事態にも慣れているようだった。

正直、もう少し説明しながらゆっくりしてくれたら

ここまでパニックにはならなかったかもしれないのになぁ……とは

思ったが、小指を入れただけでこうなる人は少ないのだろうし

仕方ないのかもしれない。私は謝った。

大人なのになぁ、と思って恥ずかしかった。

 

「うーん、だいぶ恐怖心が強いみたいね。

まぁ、今までの痛い経験とか、思い出したんでしょうね」

と言われた。

 

たぶんそうなんだろう、と思った。

自分は、この問題についてもうあまり気にしないようになったと思っていたが、

痛みや恐怖の記憶はまだ強く残っていたのだ。

 

そして思った。

私は今まで、意外と、がんばって耐えていたんだなぁと。

 

本当は痛くて恐ろしくて嫌なのに、

相手をがっかりさせたくないという気持ちや

欠陥品のままでいたくないという気持ちが強すぎて

「克服したい」ではなくて

「克服しなければならない」と自分で自分に義務を課していたのだ。

大きくて、重い声で。

自分自身に対して、もっとも自分自身こそが、

大きくて重い声で義務を説いていたのだ。

 

それに対して私は耐えていたのだ。

 

本当は、なぜここまでの思いをして行為をしなければならないのか、

なぜ挿入がなければいけないのか、

それがそんなに大事なことなのか、

私が男だったらきっとこだわったりしない、

人間として相手が好きだったら強要したりしないし

それでがっかりしたりなんかしない、

 

おかしい。

 

と感じていたのだと思う。

 

でも実際に付き合った人たちを思い返すと、

表だって強要した人は少なかった。

 

もちろんそういう人でもいざ行為中になると

挿入したがる人が多かったが、無理やりしようとする人はいなかった。

 

しかし私にとっては、男性に上に乗られて足を開いている時点で、

もしかしていきなり入れられてしまうのでないかと

いつもとても恐ろしかった。

相手がしようと思えばいつでもそうできる体勢にはなっているのだから。

 

でも私はその恐ろしさをなぜか感じていなかった。

正確に言うなら、恐ろしさをさほど感じていないふりをしていた。

 

そうだよね、男の人は入れたがるもの、

だってみんな普通はそうするんだし、

入れたがるのは仕方ない、

つまり「恐ろしいことなんかではなく、当然のこと」

として自分の中で扱い、男性の欲に対する恐怖を軽減していたのだ。

 

言い換えれば、理性的な大人のふりをしていた。

男性の欲を理解し、仕方のないことと思い相手に謝る、

そして「なるべく痛みを我慢するようにがんばるからね」と言って

前向きなふりをする。

 

けれど本当はがんばりたくなんかなかったのだ。

実際、すごく痛いのだ。

どうしてこんなに痛いのにがんばらないといけないのか。

相手は何も痛くないのに。

むしろ快楽や、一体感を求める、一方的な欲じゃないか。

それが悪いこととは言わない。

でも、私はこんなに痛いのに。

そしてそれを、耐えなければと、努力しているのに。

 

心から気を遣ってくれていた人なんて、誰もいない。

 

いくら人間も動物であり、挿入行為が生物的な本能であるとしても、

それでも、放棄してほしかった。

他の手段での快楽で、充足する術を覚えてほしかった。

何かが足りない、そんなことを思ってほしくなかった。

 

だって私のことを好きだって言ってくれているのに。

一緒にいたいと言ってくれているのに。

 

 

 

 

診察台での一件で、私は今までの自分の気持ちを理解した。

 

そして理解すると、なんだか楽になった。

手足の先にはまだ少し痺れが残っていたが、

心はなぜか軽かった。

 

先生は私の局部の写真を見ながら言った。

「けっこう強い強靭症だね。どうしましょうか?手術しますか?」

 

私は初めて心から前向きに、「手術したい」と言えた気がする。

 

 

でも先生、局部の写真をずっと机の上に置いたまま

手術の話をするのはやめてほしかったです。

医療従事者の方たちは慣れていて

レントゲン写真くらいに思っているのだろうけど、

患者は慣れてないんだー!

恥ずかしいものは恥ずかしい。

 

そういえば諸々の説明の最後に、

先生が言いにくそうに言った。

「えっと……確認しときたいことがあるんですけどね」

「はい」

「あのね、何て言うか……切り取る範囲はどうします?」

「え?」

「いや、えっとね、あんまり切っちゃうと広がりすぎるというか」

「あー、なるほど」

男性があまり気持ちよくなくなっちゃうかもしれない、ということである。

「狭くしてくれって言う人もいるくらいだから~」

「いや、私はできるだけ取ってもらってかまわないです」

「ほんとに?がばがばでもいいの?」

「はい」

「ほんとに……いいの?」

「むしろがばがばでいいです!」

 

診察室にいた看護師さんたちに受けたので、よかったと思う。

「わかりました、まぁ、あとで狭くもできるからね、いっか」

と先生も笑いながら言った。

 

いや狭くとか絶対しない。

と思っているけど、まぁ未来のことはわかりませんね。

 

 

 

というわけで長くなりましたが

今週、手術を受けてきます。

 

今から緊張する……。

診察台でパニックになったせいか、

静脈麻酔と事前麻酔が追加になったし。

局所麻酔だけでも本来はできる手術なんですけどね。

 

あと皮膚が薄くてつっぱったりしていることによる

外側の痛みについては何種類かクリーム塗ったり

ホルモン剤飲んだり、いろいろしてみなきゃってことで

ここ一か月ほどやっています。

でもこれ元からじゃないのかなー?

炎症がおさまってもたぶん

擦られたりすると痛いのは変わりないんじゃかなー?

と個人的には思っていますが

とりあえず治療を試してみないことには。という感じで。

 

 

手術後にまた書きます。

 

蛇足が多い内容で申し訳ないですが、

もし同じような症状の方で何か質問等ありましたら

コメントに書いていただければ答えますのでお気軽に。